【ブルー・プラーク@ロンドン】経済学者ケインズが住んだ家

イギリス
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ケインズ経済学という言葉、聞き覚えのある方も多いのではないでしょうか。ジョン・メイヤード・ケインズ(John Maynard Keynes)は、ケインジアンという学派ができるまでに後世に大きな影響を与えた、20世紀を代表する英国人経済学者です。また、イギリスの官僚としても活躍したました。そんなケインズが暮らした家のブルー・プラークがありました。そして建物の中にはケインズを記念した部屋(非公開)もあります。

ジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes)

誕生

ケインズは1883年、ケンブリッジ大学で教鞭をとる父と、ケンブリッジ初の女性地方議員、判事、のちの市長となる母のもとに生まれました。彼の他に弟と妹が一人ずついる家庭で育ち、ケインズ自身は官僚としてインド省にて自身のキャリアをスタートさせました。

パリ講和会議

官僚は3年足らずで辞め、ケンブリッジ大学での貨幣・金融に関する研究生活を経て、今度は大蔵官僚となり、1919年のパリ講和会議には大蔵省を代表して参加しています。しかしながら、このベルサイユ条約のドイツに対する法外な賠償金に対し、ドイツ経済の支払い能力を超えたものであると反対の立場をとります。ケインズは、講和会議の最中に憤りを顕わに席を立ち、条約締結直前に大蔵省の職も辞しています。その後、その内幕を経済的分析をもとに描いた本を出版し、大きな反響を呼びます。これは政府等から批判されますが、ドイツはナチスが台頭し、第二次大戦へと突き進んで行くこととなります。

経済学者として

大蔵省の職を辞したケインズはケンブリッジ大学に戻り、研究に打ち込み、数々の論を発表します。特に有名なのが、イギリス大恐慌時の際に発表した「雇用・利子および貨幣の一般理論」、いわゆる「一般理論」です。第二次大戦中にケインズはイングランド銀行の総裁にまで上り詰めます。また研究を基に、政治的な活動や、投資家として母校の基金運用等も行っていました。

芸術との関係

あまり触れられることがないかもしれませんが、ケインズは芸術のパトロン、収集家としても大きな功績を残しています。ブルームスベリー・グループをはじめとして、交友のあった友人たちからの助言もあり、ロンドンナショナルギャラリーの近代絵画のコレクションの形成に寄与もしています。他にもケンブリッジ芸術劇場設立、戦後のロイヤルオペラハウスの再開にも尽力し、アーツカウンシル(Art Council Great Britain)の初代代表も務め、英国の文化政策の基礎を形作りました。

ケインズが住んだ家 46 Gordon Square

ケインズは現在、大英博物館の裏手、ロンドン大学の各カレッジの校舎がひしめくブルームスベリーの中のゴードンスクエアに、1916年より住んでいました。ケインズはこの近辺で親交を深めたブルームスベリー・グループの中心的存在として、バレリーナの妻とこの家で暮らしました。ケインズはロンドンでの仕事を辞し、ケンブリッジに移ってもこの住居はセカンドハウスとして残し、1946年に亡くなるまで保持し続けました。


ケインズの住んだ家は現在、ロンドン大学バークベック校の芸術学部になっており、ケインズを記念して、ケインズの書斎として保存してあります。内部は校舎として使われており、イベントなどにも使われていますが、通常は非公開なのでドアの写真だけ。(中に特段の展示等はありません。)

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