【ブループラーク/ロンドン】ダーウィンの住んだ家

イギリス

「種の起源」ダーウィンのロンドン市内の足跡は、やはりロンドン随一の文教地区、ブルームスベリーにありました。ブループラークを中心に、ダーウィンの胸像まで追いかけてみます。

ブループラーク

ロンドン中心部の北寄り、ロンドン大学の校舎が集まるブルームスベリーのGower Street。ユーストン駅から大型書店のWaterstonesまで向かう間の、ユニバーシティカレッジロンドン(UCL)の堂々たる門を過ぎ、何の変哲もないUCLの研究棟に、誰もが知るダーウィンのブループラークがあります。ブループラークは基本的に国内に1箇所のみ、有名人ゆかりの地を示すパネルです。

ダーウィンの長く住んだ家は、ケント州のダウンという町にあり、その家もイングリッシュヘリテイジによって公開されていますが、ロンドン市内にも、ダーウィンが住み、重要な意味をもつ場所があるのです。

ダーウィン

「種の起源」を記したダーウィン。ダーウィンもイギリス人で、イギリスの10ポンド札にもなっている、イギリスを代表する人物です。本名はチャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin, 1809~1882)。生物学者と思われがちですが、地理学が専門で本人も地理学者を名乗っていました。

簡単に生涯を見ていくと、イギリス南西部のシュルーズベリで生まれ、エディンバラ大学医学部に進学したものの中退して、ケンブリッジ大学神学部に入学し、卒業。その後、イギリス海軍の測量船ビーグル号に乗船し、5年をかけて世界中で博物学者として調査に従事しました。英国に帰船し、ロンドンで研究生活をおくる中、結婚して子供も生まれますが、病気がちだったダーウィンはロンドンを離れ、ケント州ダウンに移り、そこで研究を続け、生涯を閉じます。亡骸はウエストミンスター寺院に埋葬されています。

ブルームスベリーの家

ロンドンで研究生活はビーグル号乗船から戻った、1837年からですが、結婚した1839年(30歳)の1月から1842年(33歳)の9月までの2年半の新婚生活をこの家で暮らしたことになります。ここでも多くの研究成果をあげますが、病気がちだった体調が思わしくなく、ロンドンから離れます。

ダーウィンが住んだ頃の数十年間、この住居は賃貸物件として多くの人に貸し出されていたようです。その後、この周辺は倉庫へと姿を変え使用されていきますが、二次大戦時にダメージを負い、現在の大学の研究棟として生まれ変わりました。現在この場所は、生物化学棟として使用され、ダーウィン棟と名付けられており、また、ダーウィンの名を冠した大教室もあります。

生物化学棟の入口には、ダーウィンの肖像画や功績が示してあり、横には胸像が置いてあります。ただし、この胸像のオリジナルはグラント動物学博物館にあるとの注意書きがあるのです・・・!

UCLグラント動物学博物館

グラント動物学博物館(Grant Museum of Zoology)は、このブループラークと道を挟んだはす向かいにあります。この博物館の設立者、ロバート・エドモンド・グラントは、ダーウィンのエジンバラ大学生時代の恩師だったのです。ダーウィンは2回生の時にグラントの研究を手伝い、大きな影響を受けたといいます。そのグラントが新しく設立される大学UCLに、教育のための博物館として動物学博物館を作りました。尚、現在も広く公開されており、新たな教育的展示に意欲的で、大学教育にも利用されています。

ダーウィンの胸像のオリジナルは、この博物館の収蔵品として、博物館がもともとあったダーウィン棟から現在の場所に移る際に一緒に移動し、現在ダーウィン棟に設置してあるのは3Dコピーなのです。それにしてもオリジナルってこの窓からみている、アレ…!?

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