ヨーロッパ最大級の城塞都市、カルカソンヌ。1997年世界遺産登録され、その威容は「カルカソンヌを見ずして死ぬな」と称されるほど。二重の城壁で囲われた城塞都市、その中には更に城壁で囲われた歴代城主の城館もあります。ライトアップされたカルカソンヌも幻想的でした。
カルカソンヌとは
カルカソンヌ概要
フランス南西部に位置し、東は地中海、西は大西洋へと続く交通の要衝として古くから発展したカルカソンヌ。南のピレネー山脈を越えた先にはスペインがあり、フランス側の防衛拠点としてヨーロッパ最大級の城塞都市が築かれ、1997年には「歴史的城塞都市カルカソンヌ」として世界遺産登録されています。
その威容は、「カルカソンヌを見ずして死ぬな」と称えられますが、実際、車で近づいていくと、一面に拡がるブドウ畑の先に、威風堂々とした城塞が出現した時には思わず息を呑みます。ヨーロッパの城塞都市として正にイメージ通りです。
カルカソンヌの町は、ピレネー山脈を源流とするオード川を挟んで、右岸の高台にあるシテ(Cité)と呼ばれる城塞部分と、左岸の平地にある城外の下町からなります。シテと下町は旧橋(ポン・ヴィユー橋)で繋がっていました。散策へ出かける前に、まずはこの町の歴史を簡単にご紹介します。
カルカソンヌの歴史
カルカソンヌの歴史は古く、紀元前6世紀にはシテのある高台部分に定住者がいたようです。紀元前1世紀頃には古代ローマ帝国が占領、カルカソという名の城塞都市を築きます。5世紀前半からは西ゴート族の支配下となりますが、725年イベリア半島から侵攻してきたイスラム教徒のサラセン人がシテを攻略。これに対して、759年フランク王小ピピンが奪還に成功、再びキリスト教世界の手に戻ります。
1082年からトランカヴェル家による統治が始まり、シテは絶頂期を迎えます。一方で、この地方一帯には11世紀頃からキリスト教カタリ派(異端)が浸透し始め、徐々に支持を拡げていきます。これに脅威を感じた時の教皇インノケンティウス3世は1209年十字軍派遣を決定、フランス王フィリップ2世の助力を得てカタリ派の撲滅を進めます。カタリ派の擁護者であったトランカヴェル家も攻撃に晒されカルカソンヌは陥落、1224年にはフランス国王領となります。
国王領編入後、シテは二重の城壁が建設されるなど今日の姿である軍事要塞化が進んだ一方、オード川左岸には「城外の下町、バスティード・サン・ルイ(Bastide St-Louis)」が建設され(1262年)、この新しい町が商業的発展を遂げていきます。1659年スペインとの間でピレネー条約が締結され国境線が南下すると、シテは軍事要塞としての役割を終えて徐々に荒廃、崩壊の危機に瀕します。こうした中、19世紀に著名建築家デュックらの下で復元作業が行われ、現在でも当時の姿を維持しています。
シテ(城塞)内散策
ナルボンヌ門
それではシテ内の散策に出発です。シテには2つの城門があり、オード川に面した西門がオード門、反対側の東門がナルボンヌ門(東方の町、ナルボンヌに由来)で、まずは東門から散策開始。この門は1280年建造の巨大な2つの塔からなり、この間の入口を潜るようにして入城します。門正面にはカルカス婦人の顔像があります。有名な伝説があるので概要を簡単にご紹介。
伝説の舞台は、サラセン人が占領した700年代。フランク王兼ローマ皇帝カール大帝がカルカソンヌを包囲(史実は上述の通りカール大帝の父、小ピピン)します。サラセン人の王は既に死去、妃のカルカス婦人が応戦します。5年間余籠城を続けた後、ついに食料が底を尽き、残すは豚1匹と麦1袋。そこで夫人は一計を案じ、豚に麦を食べさせ城壁からその豚を投げ捨てました。地面に落ちた豚の腹からは大量の麦が。これを見たカール大帝は「城内にはまだ沢山の食料が残っている」と推測、包囲を解除して撤退します。カルカス夫人の策略は見事に的中、優位な立場となったうえで和平交渉のラッパを吹かせます。この「カルカスが鳴らす」という言葉がフランス語では「カルカス・ソンヌ」、そう町の名前です。大帝は引き返して夫人の忠誠を受け入れられた、と。
ナルボンヌ門とカルカス夫人の像 外側の城壁
内側の城壁 赤屋根が2つの塔 入口
城内最古の古井戸
シテ内に入り歴史を感じる石畳の道を進んでいくと、両側には同じく石造りの古い家々が建ち並びます。現在これらの建物には土産物店や小売店などが入居しており、レストランも結構あります。中世の雰囲気に包まれながら、観光気分でのんびりと散策です。
歩いていると大きな古井戸を発見。石造りの円筒部分は14世紀に設置された模様。この井戸にも多くの伝説があるようです。若返りの水伝説、恋人伝説、抜穴伝説、、、そして定番の財宝伝説。西ゴート族の支配下にあった頃、有名なフン族の王アッティラの侵略に備えてソロモン神殿の財宝を井戸に隠したとか(今でも財宝は見つからず)。想像力が豊かになりますね。
最古の古井戸 石造りの建物 城壁内側 中世の雰囲気が残る家々
サン・ナゼール・バジリカ聖堂
続いて立派な聖堂を発見。11-13世紀に建築されたサン・ナゼール・バジリカ聖堂(Basilique St-Nazaire)です。建築当初のロマネスク様式に改築時のゴシック様式が見事に融合した建物で、聖堂内部には13-14世紀の色鮮やかなステンドグラス、美しいバラ窓も見逃せません。厳かな気持ちでしばらくお祈りです。
サン・ナゼール・バジリカ聖堂 聖堂内部 美しいステンドグラス 赤・緑色のバラ窓 青色のバラ窓
歴代領主の城館、コンタル城
コンタル城概要
聖堂の次はシテの本丸、コンタル城(Château Comtal)です。この城はトランカヴェル家の統治下にあった12世紀に建造され、その後歴代領主の城館となりました。13世紀には防衛力を強化すべく城の周囲を城壁で囲い、双塔の入口や円筒、空堀、外塁などが設置されました。城塞の中の城、とてつもなく堅固な守りです。
ここからは入場料がかかりますので、入口でチケットを購入します。それでは城内散策へ出発!
城門入口
まずはコンタル城の城門を通って城内へ入ります。領主の気分になって意気揚々と架け橋を進んでいくと、守備兵がこちらに気付いて急ぎ開門、といった光景が目に浮かびますね。逆に城を攻める寄せ手の気分になると、弓矢しかない時代ではお手上げです。
コンタル城の城門 双塔の入口
城内からの眺め
城内に入ると城塞都市の歴史を紹介したビデオ上映や歴史的な展示物があります。見晴らしの良い城壁へ進むと、先程訪れたナゼール聖堂の全体像が見えるほか、コンタル城入口なども見下ろせます。またオード川や旧橋、その先に拡がる城外の下町なども一望出来ます。
サン・ナゼール・バジリカ聖堂 コンタル城入口 オード川に架かる旧橋(左)と城外の下町
城壁散策
コンタル城に入城すると、城壁を散策出来ます。城壁は全長3kmに及び、52の塔があるそうです。3-4世紀のローマ帝国時代に建設された城壁をベースに、13世紀頃に改築されました。城内から木組の通路を抜けて城壁に出ます。非常に堅固な城壁ですね。
コンタル城城内 木組みの通路 堅固な城壁
野外劇場
城壁を進んでいくと野外劇場が見えます。ここにはサン・ナゼール聖堂の回廊がありましたが、1908年野外劇場が造られました。周囲の景色にもよく溶け込んでいます。夏場にはここでフェスティバルなどが行われるようです。コンタル城の散策はこれで終わりです。
野外劇場 城壁を上手く活用
城外の下町散策
それではシテを後にして城外の下町散策へ出かけます。観光名所はシテに集中していますので、下町については簡単にご紹介。
城外の下町
シテが衰退する一方、カルカソンヌの商業的発展を牽引したのが城外の下町で、18世紀にはワイン売買や紡織産業で栄えたようです。街中には当時の城壁やゲートなどが現存しています。
ゲート
ミディ運河
城外の下町から北西の方角へ進んでいくと、ミディ運河に出ます。17世紀末に完成したこの運河は、大西洋へと流れるガロンヌ川沿いのトゥールーズと、地中海の港町セートを繋ぐ全長240kmの水路です。カルカソンヌ駅前からはミディ運河クルーズが行われている様です。
カルカソンヌ・ロック
ポン・ヴィユー橋
シテと城外の下町を繋いでいたのが、ポン・ヴィユー橋(旧橋)。ここからはシテの城塞都市を綺麗に撮影できます。
ポン・ヴィユー橋からの景色
カルカソンヌの夜景
カルカソンヌの城塞は夜になるとライトアップされ、昼間とはまた違った幻想的な雰囲気を感じることが出来ます。夜でもシテ内散策は出来ますが、人気の少ない場所もあるので、くれぐれもお気を付け下さい。今回の散策はこれでおしまいです。
城塞への通路 城壁と塔 城壁周辺 ライトアップされた城塞都市
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