「7つの湖の街」と称されるドイツの美しい湖水地方の街シュヴェリーン。北ドイツのハンブルクやリューベックから車で約1時間、かつての神聖ローマ帝国を構成したメクレンブルク公国の中心地です。この湖上に佇むのが、「湖上の歌姫」や「北のノイシュバンシュタイン城」と呼ばれるシュヴェリーン城。2015年に世界遺産の暫定リストにも記載。ドイツの次の世界遺産と目された知る人ぞ知る華麗な城でしたが…ついに2024年世界遺産に登録されました!
シュヴェリーン城とは
都市シュヴェリーン概要
シュヴェリーンは、メクレンブルク=フォアポンメルン州の州都で人口10万人弱の小都市。ドイツ16州の中で最も小さな州都です。城の一部は1921年以来博物館として、また東西ドイツ統一後の1990年以来メクレンブルク=フォアポンメルン州議会の議事堂として機能しています。
シュヴェリーン城の歴史
メクレンブルク地方の産業や文化の中心地として栄えたシュヴェリーンの歴史において、この城はその中枢として最も重要な役目を果たしてきました。何世紀にも亘りメクレンブルク公の居城として使用され、その間、城の増改築が繰り返されました。
シュヴェリーン城の歴史は、最初に要塞として建設された10世紀にまで遡ります。ハインリヒ獅子公(ハインリヒ3世・1129-1195)は、ザクセン公として軍を率いて1160年にメクレンブルクを征服。獅子公は、荒廃した「ズアリン」城の跡地に、新城「シュヴェリーン」と集落を建設。その後荒廃しますが、16世紀から17世紀初頭にかけてドイツ・ルネサンス様式の建物が建てられ、19世紀にはネオ・ルネッサンス様式への改築が行われ今の外観となりました。改築時の設計に強い影響を与えたのがフランス・ルネサンス様式の城、特にロワール河畔のシャンボール城と言われています。
第二次世界大戦末期にはソ連軍に接収されて城の調度品の多くが失われ、その後の共産党支配下で城内は学校として使用され、城はますます損傷していきました。
シュヴェリーン城内
シュベリーン城内には多くの部屋があり、部屋数は600以上と言われてきましたが、2018年に地下室から屋根裏部屋まで数えた結果、部屋数は従来を大きく上回る953部屋となりました。
ギャラリー
まず最初に足を踏み入れるのは、かつての子供部屋。マイセン、ヘキスト、その他のヨーロッパ製陶所の貴重な磁器や、18世紀から20世紀にかけての宮廷絵画、メクレンブルク絵画が数多く展示されています。磁器を中心に収集、展示され、コレクションは380点超、圧巻です。
レジェンドの間
この部屋の壁には、数々の伝説が絵画として描かれています。その一つにはアーサー王の円卓の騎士イウェインの伝説を伝える絵があります。イウェインはドラゴンからライオンを救って仲間にしたことから「獅子の騎士」と呼ばれ、騎士道精神にあふれた理想の騎士として広く知られるようになったレジェンド。ここに描かれたのも、この城の創始者ハインリヒ獅子心王への敬慕なのでしょう。
玉座の間
この城のハイライトである壮麗な玉座の間。摂政とメクレンブルク=シュヴェリン大公国の両方を祝福している部屋になります。鋳鉄製のドアは全体が金メッキで輝いており、柱は南アルプスに近いイタリアのカララ大理石。画や彫刻で飾られた天井や壁は、宗教的および世俗的支配者の美徳の寓話と、州・市の紋章と主要産業を組み合わせており、宗教と政治の相互支援を表現しています。
1750 年頃に作られた古い玉座の椅子の両側には、大公フリードリヒフランツ2 世と最初の妻アウグステの全身肖像画が掲げられています。何とこの玉座はソ連接収時に廃棄されましたが、後に奇跡的に発見されました。玉座は入口を背に設置されており、大公との謁見を終えて部屋から退出する者は、王に背を向けることは無礼となるので、後ろ向きに歩かなければなりませんでした。
金属とべっ甲の象嵌が施された芸術的な寄木細工の床は、シュヴェリーン宮廷大工の手によるもの。また、広くて天井が高いホールは暖まりにくかったため、ストーブの煙突パイプを部屋中に張り巡らせて部屋を暖めるシステムを開発。
先祖の肖像の間
亜鉛を鋳造し金メッキを施した豪華な柱の間に、歴代の王の像 31 枚が展示されています。訪問者は玉座の間へ向かう途中、1348 年以来メクレンブルク=シュヴェリーンを統治してきた全公爵の前を通ります。青銅板に刻まれた家系図は、1160 年に亡くなり、今でもこの城の正面から城と街を見守る、王朝の創始者でスラブの支配者ニクロトにまで遡ります。
花の間
この部屋は大公フリードリヒ・フランツ2世から大公妃アウグステへの愛が詰まった部屋と言われています。大公と大公妃は19世紀の貴族としては珍しい恋愛結婚で、大公妃が来城する際のプレゼントとして用意した部屋です。湖を臨むこの明るい部屋からは、花を好んだ大公妃がいつでも庭へと出られるように設計されています。
居間
大公家では、大公、大公妃、そして子供たち全員が城内に自分のアパートを持っていました。ここはオーギュスト大公妃の居間。青いシルク・ダマスク織りを貼った美しい壁と、その下には丁寧な彫刻が施されたオーク材の壁が印象的です。
幽霊
城には幽霊がつきもの。例にもれずこの城にも住んでいます。とはいえ、ここの幽霊の名前は小人のペーター(Petermännchen)と呼ばれる背丈が数フィートしかないこびとさん。いたずらもするのですが、気立てのよい守護霊として泥棒を追い払ったりもします。近くの街ピノ(Pinnow)の紋章にもなっている人気者です。
城内庭園オランジェリー
湖に浮かぶ島に建つシュベリーン城。島のスペースには限りがあり、設計者は小さいながらも多様性に富んだ庭園を考案しました。城を取り囲むようにオランジュリー、洞窟、中庭があり、その中心が城の裏側に位置するオランジェリーです。ガラスと鋳鉄を組み合わせたファサードは、ヨーロッパの中でもユニークなもので、城内からは、庭園を辿って湖岸まで小道が続いています。
シュヴェリーン城外散策
巨大で歴史のある庭園は、鋳鉄製の橋で繋がれた島の外、本土にあります。この庭園はバロック様式の基本形が特徴で、二重十字の形をした池が軸を形成、城の景色を眺めることができます。公園内には、ザクセンの宮廷彫刻家による彫刻も見られます。現在、宮殿の庭園と周囲の緑地は、英国の影響を受けた庭園とバロック様式の庭園を組み合わせた都市公園に整備されています。
シュヴェリーンの街
街中は整然として綺麗な街並みです。個々の建物が大きく東ドイツというか、旧ソ連の街並みを想起させます。その中でも一際目立つ赤レンガ造りの教会がシュベリーン大聖堂。1270年頃にゴシック様式で建設が始まり、改修は幾度となく行われていますが、戦火にも耐えて今も残る中世の建築物です。内部に大公フリードリヒ・フランツ2世とその妃の棺が安置されています。またここには1171年のハインリヒ獅子公の書簡や1325 年の青銅の洗礼盤も保存されています。
街の中には1698年に建てられた古い木組みの家も健在。マルクト広場には、ハインリヒ獅子公の象徴でもあるブラウンシュヴァイクのライオンの記念碑があります。この記念碑は1995年、メクレンブルク建都1000周年とシュヴェリーン創設者であるハインリヒ獅子公没後800年を記念して建てられました。街中散策も楽しめるシュヴェリーンでした。
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