2024年6月23日、ドイツ、フランクフルトのあるヘッセン州の州都ヴィースバーデンに新たな美術館がオープン。起業家ラインハルト・エルンストが収集した1945年以降の現代美術作品、特に抽象芸術作品が、日本を代表する建築家槇文彦設計の美術館に収蔵されています。オープニング展はエルンスト・コレクションのお披露目となる「色が全て」展と、特別展「槇文彦回顧展」です。
ヴィースバーデン
ヴィースバーデンはフランクフルトから近郊電車で1時間弱。中世より大司教の司教座がおかれて発展したマインツとはライン川を隔てた対岸に位置し、温泉保養地として発展(ドイツ語でヴィース/Wieseは「草原」、バーデン/Badenは「温泉」の意)。現在でもカジノを含む温泉保養施設が数多くあるほか、フランクフルト有するヘッセン州の州都として政治機能や国際会議場などを備えています。
ラインハルト・エルンスト美術館は、ヴィースバーデン中央駅から町の中心地へ1㎞程、バスに乗れば2分程で到着するウィースバーデン博物館の向かいに設立されました。
ラインハルト&ソーニャ・エルンスト財団
ラインハルト・エルンスト美術館は、ラインハルト&ソーニャ・エルンスト財団により設立されました。同財団はフランクフルト近郊の町リンブルグで自動車関連の精密機器企業を経営したラインハルト・エルンスト氏が妻ソーニャ氏と2004年に設立した非営利団体で、夫妻は2000年よりヴィースバーデンに在住。
同財団では今回設立した美術館以外にも音楽学校に対する支援をはじめ、東日本大震災後に宮城県名取市で老人や子供たちの集いの場「希望の家」を作るプロジェクトを建築家槇文彦氏と行っています。槇文彦氏とは、このプロジェクトが契機となって「良き友人」の間柄となったとのこと。
建築
美術館建築
美術館は日本の建築家、槇文彦が設計。明るく白い花崗岩の四角い外装から「シュガーキューブ」とも呼ばれますが、もちろん単なる四角ではありません。入口と窓の一部には千本格子、建物の中央には坪庭から着想を得た中庭がデザインされ、日本の伝統的な方法で内と外との融合が図られています。
1階部分は全面ガラス張りで、外の歩道からエントランスエリアを通って中庭へと光が差し込みます。階を跨いで広く開いた窓や最大2.5x6mの天窓など、中庭を中心に吹き抜けを用いて建物を4つに分けることで視覚的な境界を無くす工夫がなされています。建物の軒高は20メートルで、これは周囲の環境、特に向かいに位置する伝統建築の博物館を考慮しています。そして印象的な白い花崗岩で覆われた建物の壁は白を基調に統一されていますが、異なる質感の白い素材が幾つも使用されています。総建築費は130億超。
槇文彦特別展-Towards Humane Architecture
2024年6月23日、美術館が開館。しかし、この日を待たずして、槇文彦は2024年6月6日に他界。この美術館が遺作とも言われています。そのため、美術館開館の特別展として行われたのが「Towards Humane Architecture」と題された槇文彦の回顧展。本人が「ヒューマンな建築」と呼び大切にしたヒューマニズム、そして都市計画とともに、社会との融合を模索し続けた作品群が展示されました。
槇文彦が手掛けた建築物はラインハルト・アーンスト美術館を始めとして4ワールド・トレード・センターや、セントルイス・ワシントン大学サム・フォックス視覚芸術学部、京都国立近代美術館、幕張メッセ、ヒルサイドテラスなど数多くあり、特別展ではそれらの模型や映像資料を視聴出来ました。
抽象芸術コレクション
1980年代から収集されたラインハルト・エルンスト・コレクションは現在960点以上の作品群となり、このうち60点程が美術館に展示されています。このコレクションは1945年以降の抽象芸術作品のみを扱っている点が大きな特徴。その中でも、中心となった作品はラインハルト・エルンストが「色彩への愛」と呼ぶ3つの美術史的運動、即ちアメリカの「抽象表現主義」、ヨーロッパの「アンフォルメル」、日本の「具体」に属する作品です。開館時の展示もこれらが中心ですが、現在はより現代の作品収集に注力している由。なお、抽象絵画の他に、立体作品などの展示もありました。
アメリカの抽象表現主義
このコレクションは、所謂「ニューヨーク派」から派生したヘレン・フランケンサーラーのコレクションとして世界最大規模です。ニューヨーク派は「キャンバスは世界を再現する窓ではなく創作行為をする場である」として、作品の「物質性」に注目しました。そこでは作品は絵具が固まって盛り上がった物質であり、描かれる対象よりも描く行為などの過程を重視して、アクションペインティングが始まりました(ポロックら)。ヘレン・フランケンサーラーはこの考えに影響を受け、下塗りされていないキャンバスに直接薄めた絵の具を使用する「ソークステイン(滲みこみ)」技法を用いて、その物質性と過程を表現しています。以下画像はヘレン・フランケンサーラーとエステバン・ビセンテ、アドルフ・ゴットリーブ。
ヨーロッパのアンフォルメル
一方、ヨーロッパではフランスを中心に各地で「アンフォルメル」と呼ばれる激しい抽象絵画への動きが同時期に始まります。アメリカの動きと同様に、素材感やマチエール(絵の表面の肌合い)を重視し、形態が失われるほどに抽象化された絵画です。ハンス・ハルトゥングは様々なブラシやスプレー、ローラーなど多様な方法でキャンパスに絵具を載せ、その動作自体もキャンパス上で見て取ることができます。
美術館のバルコニーに展示されているベルナール・シュルツェは、ドイツにおけるアンフォルメル誕生に貢献した人物。彼は作品を絵画から大規模な立体作品へと発展させました。またジョルジュ・マチューは、過去の大戦で亡くなった人の表現に東アジアの書道や水墨画を取り入れたと述べています。今井俊満は日本とパリを拠点に活動し、自身もアンフォルメルに参加するとともに、それを日本に普及させることにも貢献しました。
日本の具体
日本においても、これらの動きに影響を受け、抽象絵画の作品群が誕生しました。コレクションされているのは、1954年に兵庫芦屋で設立された「具体」グループが中心で、島本昭三、白髪一雄、田中敦子、吉原治良などの作品。またコレクションには具体との関係も強かった日本の前衛書道グループ(墨人)の影響を受けたものが見受けられ、井上有一や篠田桃紅の前衛書道作品も公開されていました。
サードプレイス(第三の場)として
この美術館は、「自宅(第一)」や「学校・職場(第二)」の場から離れて、第三の「公共」の場として人々が居心地よく文化や芸術に触れることができる場を目指しています。誰もが気軽に芸術作品に触れることができる場所を作ることは、ラインハルト・エルンストと建築家槇文彦、共通の信念・価値観であり、建築のデザインとしても、アクセスに障壁となるものを取り除き、むしろ境界を感じずに明るい空間に誘われるように、幼い頃から身近に芸術と触れられる環境を提供したいとの考えが根底にあります。この美術館には、人と向き合うことを大切にしつつ、建築と都市のデザインを手掛けてきた槇文彦の考え・意思が強く示されているように感じます。
なお、美術館の営業時間は午後のみ(午前中は教育機関のみに公開)。 18 歳までは入場無料、博物館のホワイエはすべてのゲストに無料で開放されています。最大 250 名を収容できる会場「マキ・フォーラム」や光が差し込む居心地の良いカフェもあり、トイレも斬新で素敵。
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