ドイツ中部、旧東ドイツのザクセン地方にある小都市ヴィッテンブルク。公式に「ルターの街」という尊称がつけられたこの都市は、ローマ教皇から破門されながらも聖書中心の信念を貫いて、宗教改革を行い、プロテスタントを確立させた立役者ルターゆかりの地です。ルター生誕・終焉の地ルターシュタット・アイスレーベンとともにユネスコ世界遺産に登録されています。エルベ川の河岸にあり、ベルリンからもライプツィヒからも電車で1時間です。
また、ルターが教皇に破門、国外追放されてこのヴィッテンブルグに住むことが出来なくなって、匿ってもらいながらギリシャ語の新約聖書原文を、ドイツ語に翻訳したのがヴァルトブルグ城。その記事はこちら。
マルクト広場
ルターの街「ヴィッテンブルグ」の名がつく駅は2つありますが、そのうちの旧市街(Altstadt)駅で降り、街の方にまっすぐ5分程歩いた先がマルクト広場。この広場は昔の市庁舎もある旧市街の中心であり、ルターとその強力な支持者・協力者であったメランヒトンの銅像が迎えてくれます。ここを起点に西に向かって街歩きを始めることにします。
ヴィッテンブルク城とルターが95ヶ条の質問状を打ち付けた教会
マルクト広場から5分ほど用水路の残る美しい道をたどると、小さな旧市街西端に建てられたヴィッテンブルク城に着きます。この城にある教会が、あのルターが95ヶ条の論題を打ち付けたドアのある教会です。このヴィッテンブルグ城は、かつてのザクセン選帝侯の居城で、1525年に完成した時にはドイツの初期ルネッサンス期の壮麗な城でしたが、火災やシュマルカルド戦争、ウィーン会議によってヴィッテンベルクの町と共に城の重要性が失われていきました。実際目にした印象は、壮麗というよりはすっきりしています。
入口
今日、見学するにはヴィッテンブルク城の入口でチケットを購入します。このチケットで城の中にある教会と、居城内の展示スペースに入れます。また、一緒に世界遺産に登録されている聖マリエン市教会とのコンビチケットも購入可。
教会内部
教会の中は然程大きくないものの、都市特権を付与され栄えた名残が随所に感じられ、ステンドグラスが輝く美しいゴシック建築となっています。その中にルターとメランヒトンの肖像と墓碑が安置されています。
95か条の論題を打ち付けた教会のドア
ルターが95か条の論題を打ち付けたのは、教会のドアの外側です。ルターの時代には木製だったものが焼け落ち、現在はこの論題が書かれた銅板となっています。実際に打ち付けた訳ではない、書簡として送っただけだ、など諸説あるそうですが。
Ferdinand Pauwels – flickr, パブリック・ドメイン, リンクよる
居城
居城内の展示スペースでは、ヴィッテンベルクの歴史やルターの功績について詳しい説明がなされています。同時代の友人でかつ強力なサポーターだったいうドイツ・ルネサンス期の巨匠クラナッハの描いたルターとメランヒトンのポートレート見ることができます。デンマーク女王が祭壇のために自身で作成したという刺繍も印象的でした。
クラナッハホフ
ヴィッテンブルク城からマルクト広場に戻る際に右側に立派な薬屋さんがあります。これが先ほどの画家クラナッハ父子が長く住んだクラナッハホフです。クラナッハ父が薬屋を営みながらアトリエをはじめ、クラナッハ子が修行し拡げたアトリエです。
給水システム
マルクト広場に戻るとそこには大きな市庁舎があり、中に入ることもできます。そして、広場には目立つ噴水があります。これは1556年に市民が中心となって建設した給水システムで、なんとまだ機能しています。当時は木のパイプだったとのこと。噴水に横づけしてこの水で作ったビールを売るお店がありましたが、営業していませんでした。
聖マリエン市教会
マルクト広場すぐ近くの教会がルターが何度も説教をした聖マリエン市教会。12世紀創建のこの町で一番古い教会です。ここも世界遺産に登録されています。ルターが1525年にカタリナ・フォン・ボラと結婚したのもこの教会です。この教会の中央祭壇は宗教改革祭壇と呼ばれ、クラーナハ父子の手でルターの姿が描かれています(1547年作)。市教会という名前がついている通り、市民のための教会で今でも祈りの為の時間が設けられており、見学不可の時間に訪ねたため、時間をずらして再訪しました。
メランヒトンの家とルターの家
マルクト広場から東に向かって7分程歩くと、メランヒトンの家があり、また3分程歩くとルターの家があります。そもそもそんなに大きな町ではありませんが、ご近所に住んでいた様子をうかがい知ることができます。ただしルターの家は2025年まで閉館中でした。
ヴィルヘルム・ヴェーバーの家
聖マリエン市教会のすぐ裏手にはドイツの物理学者ヴィルヘルム・ヴェーバーの家がありました。電磁気学の形成に貢献したほか、ガウスとともに電磁気の単位系の統一に努力し磁束のSI単位「ウェーバ」に名を残しているそうです。
最後に
ルターの街として訪れたヴィッテンブルグですが、神聖ローマ帝国時代には特権を認められた都市として発展し、城や大学もあって多くの著名人を輩出した興味深い街でした。建物には歴史的人物とのゆかりを示すプラークが幾つも掲げられていて、今回気付かなかった人物も大勢いると思います。
歴史の中で町の重要性が失われ、その後大きく発展する事なくひっそりとその街並みを残してきたこの街は、世界遺産都市として近年とても美しく整備されました。また、インフォメーションセンターなどでの最新設備を使った学びの場も多く作られています。街としての生活感はあまり感じられず、やや不思議さを覚えましたが、歴史と街並みを楽しむにはとてもよかったです。
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