【ドイツ/ライプツィヒ】森鴎外・ゲーテゆかりの店アウアーバッハス・ケラー

ドイツ

ドイツ東部ザクセン州の都市ライプツィヒには、ドイツの文豪ゲーテが通ったことで有名なアウアーバッハス・ケラーという老舗のワイン酒場兼レストランがあり、そこは森鴎外にも所縁の深い所でした。2025年、創業500年を迎えます。

学術、音楽の都市ライプツィヒ

ドイツ東部ザクセン州にある歴史上重要な都市ライプツィヒ。人口は州都ドレスデンより少し多く、旧東ドイツ地域ではベルリンに次いで2番目に大きな町。ライプツィヒ大学を擁し、ゲーテやニーチェ、森鴎外が学びました。ドイツ元首相アンゲラ・メルケルもこの大学出身。音楽分野でも有名で、バッハやメンデルスゾーン、ヴァーグナー、瀧廉太郎なども所縁の地です。

メードラーパッサージュ(アーケード街)

ライプツィヒを代表する「メードラーパッサージュ」というガラス屋根付きのショッピングアーケード街が有名で、1914年建築、全長140m。もとは1525年建設された商取引の建物「アウアーバッハス・ホフ」がありました。ライプツィヒ大学の学長ハインリッヒ・シュトローマー・フォン・アウアーバッハがこの中に自身のワインバーを作り、5年後に食事もできるケラーに改装。

1911年スーツケース会社の経営者アントン・メードラーがアウアーバッハス・ホフとその周辺の建物を購入、ガラス屋根のついたパッサージュを作り、アウアーバッハス・ケラーは無くなることになりました。しかし市民たちは計画段階でメードラーにアウアーバッハス・ケラーを残して欲しいと要望、この結果パサージュの中にパサージュに、見事に融和する形で残ることができました。その後、旧東ドイツ時代に「見本市委員会」が所有することになりますが、東西ドイツが再統一された後は、メードラー家が再び所有し、大規模な改修を行って建設時のよう雰囲気を再生しました。

メドラー・パサージュは陶器、ワイン、毛皮製品の取引展示会の場として使用されてきました。道が交差する場所にはマイセン磁器で作られたカリヨンが設置されていて、現在、飲食店などおよそ40店舗入っています。その中に一際目立つ塑像がおかれています。これはゲーテのファウストの一場面が表現されており、そこの入口からはいれるのがアウアーバッハス・ケラーです。

アウアーバッハス・ケラー

パッサージュの通路から地下に下りたところにあるのが、アウアーバッハス・ケラー。ここには、食事ができる歴史的なケラーに加えて、歴史的なワインバーと新たに作られた「メフィストバー」があります。

メインのレストランとなるグランドセラーはメードラー・パッサージュの真下に位置しています。柱と壁龕が特徴的で、中にはとても広い空間が拡がります。料理は伝統的なザクセン料理を食べることができ、季節ごとにメニューは変化します。他にも馴染みの客であったゲーテやルターに関わる品を展示をしている部屋もあります。部屋は要予約。

グランドセラーの中には「ファウスト博士が悪魔の力を借り、大きなワイン樽にまたがってこの酒場から表の通りへ飛んで行った」というゲーテが小説に登場させた古い言い伝えを再現したものがあったり、ゲーテの小説のさまざまな場面が描かれた壁画、所縁のある資料を見ることが出来ます。

森鴎外の展示

メインのグランドセラーではいくつかの壁画を見ることが出来ますが、何とその中には森鴎外がいます。ドイツ留学中に幾度かライプツィヒに滞在していましたが、1885年のクリスマス時期12月27日に他の日本人留学生とここを訪れた鴎外は自身の日記に、その留学仲間とファウストの翻訳について語りあったことを嬉々として綴っています。そしてその後、鴎外はゲーテの「ファウスト」を本当に翻訳し、1913年に初版が発行されました。そして、この壁画ですが森鴎外の原稿をみてみると、縦書きの原稿用紙に見えます。発見した時はうれしくなりました。

創立500年

1525年、ライプツィヒの医師で教授、学長まで就任したハインリッヒ・シュトローマー・フォン・アウアーバッハ(1482-1542)は、「ワインは正しく飲めば、各種疾患の予防になる」と考えました。まず彼の家のワインセラーで学生のためにワインを出し始め、その後多くの客が訪れるようになり、世界的に有名な社交場となりました。それから2025年でちょうど500年。伝統的なザクセン料理とワインを、歴史的な場所で楽しんでみるのも良いかもしれません。ちょっとしたお土産も購入出来ます。

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