【ドイツ】世界遺産・ハンザ自由都市ブレーメン散策!

ドイツ

グリム童話「ブレーメンの音楽隊」や、ハンザ同盟の有力商業都市として栄えた面影を残す世界文化遺産(マルクト広場の市庁舎、ローラント像)で有名なドイツ北部の町ブレーメン(Bremen)。

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ブレーメンとは

概要

ブレーメン(Bremen)は、ドイツ北部の大都市ハンブルグの東に位置し(電車で1時間程)、グリム童話「ブレーメンの音楽隊」や、ハンザ同盟の有力商業都市として栄えた面影を残す世界文化遺産(マルクト広場の市庁舎、ローラント像)で有名な町です。

中央駅から旧市街に向かって歩くと、中世から残る堀がすぐに出てきます。ブレーメンはかつてこの堀とヴェーザー川に囲まれた城塞都市で、16世紀以降にヴェーザー川左岸部分も新市街として開発されました。主な見所は堀の中(ヴェーザー川右岸の旧市街地区)に集中しているので、歩いて観光することが可能。トラムを利用できると、移動は更に便利です。

歴史

北海と南ドイツ、ライン川とエルベ川間を結ぶ交易の十字路に位置したブレーメン(Bremen)は、8世紀に交通の要衝として発展。787年カール大帝により司教座都市に指定され、845年大司教区に昇格、大司教の下で最初の隆盛を迎えます。

11-12世紀になると商人活動が活発化、北方貿易では異民族ヴァイキングと対等に取引するため、商人たちの団体「商人ハンザ」(ハンザとは団体の意)が誕生。13世紀には都市同盟「都市ハンザ」へと発展(1241年リューベック、ハンブルクの同盟締結がハンザの基礎とされる)、1260年ブレーメンもこれに加盟し、自由帝国都市としての地位を確立すると共に経済的にも大きく発展します。

1669年のハンザ会議で事実上ハンザ同盟が終焉を迎えた後も、ブレーメンはリューベック、ハンブルクと共にハンザ都市として現在まで存続、夫々の正式名称にはハンザ都市を意味する「Hansestadt」が付きます。尚、車のナンバープレートも、これら3州についてはHB(ブレーメン:Hansestadt Bremen)、HH(ハンブルク)、HL(リューベック)です。

市庁舎(世界遺産)

まずは2004年世界文化遺産に指定された市庁舎。旧市街中央のマルクト広場に面しています。市庁舎は、ハンザ都市として大いに栄えた1405年に建設された旧市庁舎部分と、その後増築された部分があります。見学にはガイドツアーに参加する必要があり、市内のインフォメーションセンター、または同ウェブサイトでチケットを購入出来ます。ツアー集合場所は大聖堂側入口前で、ドイツ語と英語があります。

ファサード

正面のファサードは、創建後約200年を経た1600年前後の改修時に新設されたヴェーザー・ルネサンス様式のもので、立像はカール大帝と7人の選帝侯。

内部

市庁舎内部には、ブレーメン州の上院、下院会議場があり、どちらも見学できます。注目は上院会議場で、ここでは現在でも地元有力者達の伝統的な晩餐会(ブレーマー・シャッファーマール、Bremer Schaffermahl)が催され、招待者についても伝統的な衣装での参加が求められるとのこと。尚、晩餐会への参加は男性のみとされていますが、唯一の例外(女性参加者)は、メルケル元首相だそうです。

部屋には大きなシャンデリアと、海上交易で栄えたブレーメンを象徴する船舶(軍艦)の模型が幾つも吊り下げられています。昔はこの軍艦が搭載する小型大砲で、祝賀レセプションの祝砲が撃たれていたとか。天井には歴史上の権力者達の肖像画があるほか、壁にはクジラやカジキなど数々の絵画が飾られています。中でも圧巻は入口正面にあるアールヌーボー装飾が施された小部屋で、ドアを開けると一面黄金の世界が拡がっています。

ローランド像(世界遺産)

次は市庁舎と共に世界遺産に指定された英雄ローランドの立像で、自治都市ブレーメンの「自由の象徴」を表しています。これは現存する最古の石造りのローランド像とされ、像の高さは5.47m。

ローランドに関しては不明な点も多いようですが、カール大帝の甥とされる人物がモデルで、皇帝の代理人として「都市の権利と自由を宣言・保証する」というもの。古くから伝説として語り継がれていたものが文学作品(ダンテの神曲など)で有名となり、貴族や教会支配から独立した都市の「自由の象徴」として、ドイツ北部や東部の都市の広場に角笛と聖剣(裁きの剣)を持った姿のローラント像が幾つも建立されました。

尚、膝に尖った針がついていて、刺さると痛そうですが、これに触れればブレーメンに戻ってこられるという言い伝えがあります。

マルクト広場

聖ペトリ大聖堂

ブレーメンにあるキリスト教プロテスタントの大聖堂で、守護聖人は聖ペテロ。8世紀末に創建されたものの、火災や戦災で幾度も増改築が繰り返され、ロマネスク様式やゴシック様式が混在しています。バラ窓が美しく、木彫りの説教壇も見事。ステンドグラスには造船業や倉庫など、ブレーメンを象徴する図柄があります。偶然、パイプオルガンと声楽のリハーサルに遭遇し、幻想的に響く空間を体験出来ました。

中庭には巡礼路を歩く聖ヤコブの像が置かれた明るい空間があります。そこから繋がる地下室には、間近で見ることができる5体ものミイラが安置されており、独特の雰囲気を醸し出していました。

市庁舎ケラー

ドイツ最古(約600年)にして、最多のドイツワイン種類数(約650種類)を誇る市庁舎地下にあるケラー。何世紀に亘って多くの著名人がこのケラーを訪れたそうで、皇帝ヴィルヘルム2世もその一人。また、エリザベス2世はここでドイツ最古の樽ワイン(1653年に製造されたリューデスハイムのワイン)を試飲されたとか。

現在は、レストランとしても利用されており、ブレーメン地方の郷土料理が提供されています。この地方のソーセージであるピンケルや、ケールの炒め物のプレートも楽しめますが、おすすめは魚料理とドイツワイン。蒸した鱈(タラ、メルルーサ)はとても美味しかったです。

商人の館

シュッティングという、商人ギルド(組合の意)の建物も豪勢です。ここから広場をはさんで、正面に市庁舎、ローランド像、大聖堂を見ることができます。

「ブレーメンの音楽隊」の像

市庁舎のすぐ横に、4匹の像が立っています。グリム童話「ブレーメンの音楽隊」に登場する有名なシーンで、縦に並んで一斉に鳴き、その陰で泥棒達を驚かせたポーズです。外向きに立っているのは、市庁舎の中にいる人々を驚かせて4匹が中でパーティをしないように、とのこと。尚、一番下のロバの両足を掴んで願い事をするとそれが叶う、とか。

音楽隊のマンホール

広場の中には、特別な「ブレーメンの音楽隊」のマンホールがあります。お金を入れると、音楽隊の1匹が鳴いてくれます。お金は寄付に使われます。

ベトヒャー通り

かつて港と市場を結んだこの区画には、伝統的にベトヒャー(桶屋)が住んでいたものの、19世紀半ばに港が移転したことで桶屋も衰退。20世紀に入り、コーヒー取引で財を成したロゼリウスがここを買い取り、ゴシック様式とアール・ヌーヴォーを取り入れた中世の雰囲気ある町に再生させました。

現在は人気の観光地となっており、入口には大きな金色の芸術作品「光をもたらす者」が飾られています。またマイセンが製造した立派なカリヨンが1日3回(冬期)鳴り響きます。

シュノーア地区

中世風の細く曲がりくねった路地が残る地区。港で使う縄や綱など所謂「より糸」を生業とする者達が集まった区域(「シュノーア」とは紐の意)で、17~18世紀頃の建物が多く保存されています。現在は雑貨屋やカフェ、パン屋、レストランなどが入居しており、細い路地を散策しているだけで楽しめる一角です。

クンストハレ(美術館)

ブレーメンの美術館。古代から現代までの美術品が収集・展示されており、特にフランスやドイツの近代絵画が充実しています。フランス印象派の価値を逸早く見い出した美術館の一つですが、戦火で焼失した作品や、疎開したものの行方不明となったままの作品も多数あるそうです。展示作品の主な作者は、ゴッホ、モネ、マネ、マックス・リーバーマン、ドラクロワ、ピカソ、ムンク、クラナッハなど。

カフェも併設されており、良い雰囲気でした。また、開館までの待ち時間を利用して美術館前の公園を散策。冒頭の堀に繋がっており、水場や花壇の素敵な所でした。

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